![]() |
(IEのみ) |
||||||
|
■ Introduction
このページは、筆者が慢性副鼻腔炎・鼻中隔湾曲症・肥厚性鼻炎と三つの病気を併発して受けた手術の体験記である。同様の症状で悩んでいる方が一人でも減ることを祈って‥‥ ■ 突然の鼻血
もともと小さい頃から鼻が悪く、幼稚園の頃から耳鼻科のお世話に。今は見かけなくなった鼻水垂らした少年だったわけですな。親に連れられて耳鼻科に通い、鼻にシュー、もいっちょシュー、鼻水吸引機のいわゆる(といっても私が勝手にそう読んでるだけだが‥)三点セットとネプライザーの治療も受けるも、大して症状は改善しなかった。14歳の時に突然両鼻閉となりアデノイド肥大と診断され摘出手術を受けた後は、鼻水が完全に出なくなったわけじゃないけど、まぁ出たとしてもチーンとかめばスッキリするし、誠に勝手ながら耳鼻科との縁を切らさせていただきました。28歳になりバリバリ働くサラリーマンをしていた2001年10月、風邪をきっかけに鼻水が多く出るようになった。やけに多いな‥‥そう思っていたある日、右鼻から出る鼻水にどす黒い、汚い血が混じるようになる。おまけになんか自分の鼻水が臭う気がする。なんだこれは!! そう言えば、いつからか忘れたがずっと右の方だけ通りが悪かった。
インターネットで検索すると、世にも恐ろしいキーワードが出てくるじゃないか。『慢性副鼻腔炎』または『上顎洞癌』の疑い有り。特に、「血が混じる」「片方だけの鼻閉塞」は『上顎洞癌』の可能性が高い。まじでガンかよ‥‥(゚o゚) さらに調べると、このガンの治療は手術・投薬・放射線の三つを併用して対処するのが一般的だが、手術の場合はアゴから頬骨までごっそり摘出して、顔面が極めて醜く変形するということが記述されている。かなりブルーになり明日の朝一番で病院に行くことを決意したのは言うまでも無い。
■ 地元の耳鼻科で
「うわっ、これは悪いねぇ」なに?どう悪いんだ?え? 「副鼻腔炎かどうかで治療法が全然違いますからまずはそれをチェックしましょう。」 とレントゲンを撮って見る。見ると右頬骨のところが白い。素人の私でもわかる。 「やっぱり副鼻腔炎ですね。膿を取りましょう。シュミットの用意して!!」 麻酔を含ませたガーゼで鼻を局所麻酔すると、鼻に何かを差し込んだ。そして次の瞬間だった。バギッ!! 骨が砕ける音が頭の中に響く。医者の指した針が私の頭蓋骨を突き抜け副鼻腔に達したのだ。シュミットとは、鼻の穴から針を副鼻腔へ直接指し、そこへ生理食塩水などを送りこみ、膿をトコロテンのように強制的に排出させる荒業なのである。医者がポンプを操作し、何度か水を送り込むが、膿はちっとも出てこない。頬骨と奥歯の辺りが痛い。それもそのはず、私の鼻と副鼻腔を結ぶ穴は完全に塞がれていたのである。つまり膿の出口が無い状態だったのだ。 骨を砕いてまでしたのに、膿はクリアできないし、そもそも骨を砕くことを事前に患者に通知すべきだろうこの野郎、インフォームドコンセント不足だ!!と怒り心頭に達したものの、指した針に繋がれた管に膿が逆流してそれを採取。悪性のものか病理検査に回すことになった。 結果はガンの可能性は低いとのことだった。不幸中の幸い。ほっとひと安心である。結果が出るまでの一週間は仕事が手につかず、不安の連続であった。こんな不安からは一生サヨナラしたかった。手術による根治を希望すると、大学病院への紹介状を書いてくれた。
「うわっ、これは悪いねぇ」
また同じこと言われた。レントゲンとCTスキャンをしてその日は終了。翌週そのスキャン写真を見ると、見事に右副鼻腔が膿で満たされていた。病名は「慢性副鼻腔炎・鼻中隔湾曲症・肥厚性鼻炎」。2002年1月に入院・手術することにした。 ここで、これらの病気がどんな病気だったのかを簡単に説明しておこう。
午前10:30に病院入り。到着してすぐ寝巻き(上下UNIQLOトレーナー)に着替えて荷物整理を開始した。部屋は特別料の要らない6人部屋。わずかなベッドスペースにマイワールド(これ重要)を構築すべく時計やタオルなどを自分のBestな位置に配置していく。すると間もなくアルコール・麻酔・抗生物質のアレルギーチェックが行われた。これは各物質を皮下注射し、数分後その腫れ具合を見るというものだった。いずれも問題は無かった。
当日は特にやることは無いので、ひたすら読書に徹した。夜になってから担当医(=執刀医)から呼び出され1対1で手術の詳しい説明を聞いた。ひとつひとつ非常に詳しく、例え話を混ぜながらとてもわかりやすく解説してくれた。これで安心して明日の手術を受けることができる。 明日以降4日間は風呂に入れないので、風呂で洗髪。消灯時間21時直前に最後のお茶を飲んで就寝‥‥ といきたかったが、そうそう21時に寝られるわけが無い。今日は睡眠薬を飲んででも寝てくれと言われてたこともあり、睡眠薬(眠剤と言ってた)を貰って飲んで就寝。睡眠薬ってほんとよく効くのね。
朝7時に目を覚ました。睡眠薬のせいで、全く夢も見ず一瞬で朝になった‥そんな感じがする。今日は朝から飲食禁止である。9時過ぎになって点滴をしてもらう。昔は点滴を変えるたびに(つまり1日1回)点滴の針を刺したものですが、今は点滴の針が刺せる特殊な管を刺しっぱなししておく仕組みになっていて、この辺の患者の負担は減少しているようです。実際14歳の時にアデノイド摘出した際は、毎朝毎朝点滴の針を刺すのが辛く、何度も同じようなとこに刺すので痛くて痛くて、手の甲に刺してもらったこともありました。
手術は午後の2番目。ちょうど12時を回る頃、「1:30から手術を開始することになりました」と看護婦さんから連絡を受け、処置室(入院患者が診察を受けるための部屋・設備は普通の耳鼻科の病院と同じ)で鼻に麻酔を含んだガーゼを詰め込まれる。ベッドに戻ると局所麻酔を効きやすくするためか、はたまた局所麻酔とはいえ痛みの多い手術ゆえ意識をわざと朦朧させるためか、その両方か、とにかく右肩に筋肉注射を打たれた。だんだん目の焦点が合わなくなってきて、目を開けてるのが辛い。30分後さらにもう一本、左肩に同じ筋肉注射を打たれる。こうなるともう駄目。朦朧とした意識の中、ベッドからストレッチャー(移動ベッド)に移動するよう言われたが、なんだか体がうまく動かない。なんとか移動すると、いよいよ手術室へGoである。 手術室に到着した時には、周りの様子を観察するとか、先生や看護婦に挨拶しようとか、いろいろ思ってたことが全部ふっとんでしまった。とにかく目を開けてるのが辛いのだ。かろうじて先生に「お願いします」と言ったかもしれない。局所麻酔の注射を打たれていよいよ手術開始。 手術時間は3時間。多くは1時間半で、3時間というのはやや長めになるという。局所麻酔の限界が3時間で、それで終わらなければ、翌週にもう一回手術することになるとも言われていた。で、この3時間が人生の中で一番辛く長い時間になった‥‥。
覚えているのは、一番最初に行った鼻中隔へのメス入れ時の掛け声。次に覚えているのは、悶絶苦しんでいるシーンなのである。おいおい、本当に麻酔は効いているのか?っていうか全然効いてないんじゃないかってくらい痛い。手術開始からどれくらい経ってから苦しみ始めたのだろうか?人間痛みが激しいと意識を失おうとするらしい。途中何度かスーっと気持ちよく落ちるような感覚に襲われると、看護婦の「深呼吸してぇ」という叫び声で意識はまた激痛の世界へと呼び戻される。そんなことを何度も繰り返してると、電車の中で熱中症にかかったように、体中になんとも言えぬ不快感が走りクラクラしてきて吐き気を催してきた。「先生、気持ち悪い‥」そう言うと、しばし手術は中断となった。それにしても暑い。少しでも暑さから解放されようと足を動かすが、手はいつのまにか縛られてることに気づいた。数分で体中の不快感と吐き気が消え手術再開。
そして医者から「おーいノミとってくれ」というセリフが。ノミ?巨大木槌?目は塞がれており確認はできない。そして、トントンバキッ!! それに合わせて「うっ、うっ、うぎゃぁ」と私は叫ぶ。またしても頭蓋骨が破壊される音がするではないか。それも一回や二回ではない。右、左、鼻の奥、鼻の手前。俺の鼻をまさに「再構築」している感じである。耳鼻科の医師は、彫刻美術が必須科目になっていることを祈りつつ、痛みに耐えてると、またしても吐き気が襲ってきた。「血圧低下!!」と遠くで女の人が叫んでる。そうか、血圧が低下するとこの不快感になるのか‥‥と納得しつつも、今度は先生は手術を中断してくれない。「もうすぐ終わるからねぇ」としか言ってくれなかった。辛い‥‥ 辛すぎる。鼻を高くする美容整形もこんなに辛いのか?次に襲ってきた痛みはレーザー。 鼻の中の粘膜が沸々と蒸発するような感覚がした。すぐにレーザーだとわかったが、なぜか鼻の入り口の縁の部分も痛い。それもすごい痛い。「先生、レーザーが余計なところにも照射されてません?」と言いたかったが、小心者なので言えない。 最後に覚えているのは、鼻の中を糸で縫っているシーン。痛いという感覚はなかったし、「あぁ、終わる」と思うとそのまま意識を失ったと思われる。この後大量のガーゼ(左右で15本)を鼻に詰めているはずなのだが記憶が無い。そして先生から「終わりましたよぉ。もう大丈夫ですよぉ。」との掛け声で地獄の3時間はようやく終焉を迎えたのであった。
ボロボロ涙が流れてくる。それを見た家族は痛くて泣いてるのかと思ったそうだ。涙は普段そのほとんどが鼻に流れているが、ガーゼで塞がれているため目にどんどん流れてこんでいるために大量の涙を流しているに過ぎないのだが、同情を引くには十分な量であるようだ。鼻が変形するほどの大量のガーゼが痛々しい。鼻の穴から覗く直径1cm程の球状になった綿(綿球と呼ぶ)が真っ赤に染まっている。熱が38度くらいになり、暑くて暑くて仕方が無い。
13:30に病室を出て戻ってきたのは17:30。第一声は18:30頃の「今、何時?」だったそうだ。その前に執刀医がベッドまで来てくれ、いろいろ声を掛けたらしいのだが、記憶に無い。痛みが激しいので座薬の鎮痛剤をお尻に挿入してもらった後は疲れで寝てしまった。夜トイレに行きたくなり起き上がったが、貧血で気持ち悪くなりあきらめ尿瓶を用意してもらった。結局使わずに寝てしまったのが‥‥
朝7時に朝食が運ばれてきた。ずっと食べていないので食欲だけはあった。食パンや豚肉料理など、いたって普通の食事である。
朝の診察時、ガーゼの詰まった鼻に医者は何もすることは無し。このガーゼが詰まった感覚は人によっては思いのほか辛いかもしれない。一日中、綿球が赤く染まったら新品に交換するという作業を繰り返した。私は物凄いテレビ好きだが、この日は本はもちろんテレビも全く見る気にはなれない。この辛い状態から脱するために、ただただ目を瞑って眠りに更けるだけだった。 熱は37度台をうろうろしており、食事の完食率を見ると朝食50%・昼食75%・夜食80%となっている。夕方くらいから下痢になった。点滴による抗生物質投与による腸内細菌の全滅が原因である。この下痢は退院直前まで続いた。
朝6時に熱を測ると38度に熱が上昇しており、朝食の完食率も25%で精一杯だった。明らかに体調が良くない。
この日は朝10時に鼻に詰まったガーゼを摘出する日である。知る人ぞ知る、これが患者にとって実に辛い作業なのである。少なくとも全身麻酔で手術を受けた人には最大の山場。私も14歳の時の思い出(このときは全身麻酔)があり、ガーゼ抜きがいかに辛く痛いものかは知っていた。 左右両方に詰まった15枚のガーゼを抜くとき、そのガーゼは血で真っ赤に染まり、半分ゼリー状に固まっている。それが、傷口癒えぬ鼻の粘膜を引っかきながら引き出されるとき、悶絶苦しむのである。麻酔したくともガーゼがあるのですることはできず、麻酔は一切無しである。14歳のときはガーゼを抜き終えた後、しばらく体を動かすことができず、そばの診察台に横になり病室に戻ったのは10分後であった。その記憶が頭をよぎり、身を構えてびびっていた。ところが、どうだ。確かに痛い。でも手術中の痛みに比べたら屁のカッパである。 あっさり抜き終えると、またガーゼを入れ始めたが、今回は左右で5枚だけ。随分と軽くなり、朝調子の悪かった体は、ガーゼ抜きをした後はみるみる回復し、熱は37.0まで下がり完食率も昼食70%・夕食100%になった。
朝6時の体温は36.8度と初めて36度台に戻り、着実に回復していることがわかりうれしくなる。朝の診察時に完全にガーゼを抜き取った。鼻水吸引機で鼻の中を掃除したあと、医者が
「それでは、ゆっくり鼻で呼吸してみて下さい。」 というので、ゆっくり吸ってみる。スーーーーーーーーッ!! 今まで鼻で呼吸するときは、ひっかかる感じがして力が必要だった。それが今や、口を大きく開けて呼吸しているが如く、なんの抵抗も感じない。 ♪さわーやーかーな日曜 It's beatutiful Sunday.これは電話で家族に報告したときの第一声である。いきなり歌わせていただきた。 スースー鼻呼吸していると、鼻がヒリヒリする。しばらくすると頬や眉間が痛くなってきた。副鼻腔が痛がっているのか、はたまた鼻の痛みが散っているのか‥‥ この痛みも退院するまで続くことになる。この日は、昼頃に鼻はまた詰まってしまった。医者に禁止されていたので鼻をかむこともできずそのまま放置。また口呼吸しなければならなくなった。 この日がさわやかな日曜になったのは、久しぶりのシャワーを浴びることができたせいもある。ごわごわ、ベトベトの髪の毛を洗い、体のアカを落として本当にすっきりした。
この日お見舞いに来てくれた友人曰く「全然病人に見えない」。体温もほぼ平熱に戻り、食事の完食率も100%でいたって元気だ。ただ、眉間の痛みは消えておらず、痛み止めが切れた状態の夕食前や早朝は動くのが辛い。ただ、ここで調子ぶっこいて動き回ると駄目なのはわかっていたので、おとなしくベッドで横になり目を瞑って体を休めることに注力していた。
この日は回診の日だった。耳鼻科の医師全員が教授の後をついていって、ベッドを全て回るのを想像していたのだが、この大学は処置室に全医師が詰め掛け、担当医師が治療するのを見学するというものであった。ドラマ「白い巨塔」好きな私としては、財前教授にどんな答えをしようかあれこれ考えていたのに残念な限りだ。
担当医師は50歳台と思われる教授の鋭い目と、若手の医師たちの注目を浴びつつ、突然 「副鼻腔を洗浄しましょう。」 と言った。手術で構築した副鼻腔へのトンネルの入り口に管をあてて、そこから洗浄液を副鼻腔へ流し込むというもの。金属製の器(ベイスンと言っていた)を手に持って、医師の掛け声とともに、「アー」と声を出しながら、洗浄液を注入する。すると鼻から口から副鼻腔を洗った液体がドロドロ溢れ出てくるという、見た目は痛くてエグそうなものだが、実際は痛みは全く無い。 洗浄が終わるとしばらく鼻の中を見た医師が 「明日退院しましょう。」 寝鼻に水である。
退院の日も朝の診察を受け、三点セットを処置した後は荷物整理。10時過ぎに請求書が届きいよいよ退院である。部屋の仲間と看護婦さんたちにお別れしたあと、請求額を納め帰路に着いた。
入院日数8日、差額ベッド料無しで総額 93,170円 だった。 退院後も、やはりまだ鼻は詰まるし、赤い鼻水も出てくる。あの「さわやかな日曜」が一日中続く日が来るのが楽しみである。
あれからいったいどれくらい経っただろうか。物心ついた頃から四半世紀に渡って人生を共に歩んできた鼻詰りが懐かしい。今や、私の鼻を妨害するものは何も無く、スースー状態だ。ずっと口呼吸をしてきたため、最初は慣れなかった鼻呼吸も今では意識することなく、睡眠時も含めて常時鼻呼吸となった。そのためか、妻から「いびきがうるさい」とどやされる事もぴたりと無くなった。鼻詰りもさることながら、いびきを抱えていた私としてはうれしい「副作用」であった。
実はこのページを開設してから何通かメールを貰った。地獄の3時間の描写が痛々しく手術を躊躇しているという内容が多い。確かにあの痛みは辛い。しかし、私は断言しよう。25年以上の苦しみからたった3時間で解放されるならば、何度でも受けようじゃないかと。 本当に手術を決断してよかったと思う。そして願わくば同じような苦しみから解放される同士が一人でも増えることを‥‥ちなみに仮にもう一度手術受けるなら、リスク承知で全身麻酔を選びます!! |
■ Index
■ Main Menu
■ Useful Links
みんなの体験記
医療
■ 関連書籍
春名真一(著)
武田哲男(著)
近藤 誠(著)
「インフォームド・コンセント」とは名ばかりで、他の治療法の吟味も不十分なまま危険な手術に誘導され、医療事故に巻き込まれるケースが後を絶たない。相手が「手術の名手」「神の手」といわれる人物ならなおのこと、手術へと導かれる列車から患者が降りることは難しい。メスの前では、社会的地位も財力も無力。キャスターの逸見政孝、山川千秋の両氏、政商小佐野賢治氏などの著名人の例を詳細に検証しながら、外科医療の暗部に鋭く斬り込んだ衝撃作! 森山寛(編集)
慈恵会医科大学耳鼻咽喉科教室が、鼻・副鼻腔疾患に関する基本理念、診療の基本と実践をまとめる。
大西俊郎(著)
慢性副鼻腔炎手術の歴史、内視鏡的副鼻腔手術の名称、FESSの理論、ESSの目的、器具と設備、ESSのための鼻腔、副鼻腔の解剖、ESSのための画像診断、ESSの術前検査、ESSのための麻酔と止血、ESSの手技〔ほか〕
福井康之(著)
あなたの鼻、気になりませんか?鼻やにおいは、人間関係にいかなる役割を果しているのか?ヴェテラン臨床心理学者が、広範な学問の成果を駆使して、鼻のかたち、はたらき、そして香りの楽しみまで、その不思議な世界に迫る。
黄川田徹(著)
慢性副鼻腔炎の手術的治療は、この20年間に劇的な変化を遂げた。効果的かつ完全な手術を行うためのアプローチとして、手術経験のない医学生でも容易に副鼻腔解剖をイメージできるように、図や写真を多用して解説。
大山勝(編集)
コメント無し
洲崎 春海(編纂)
ESS(内視鏡下鼻副鼻腔手術)の基本はもとより、基本の応用ともいえる種々の重要な手術手技、治療内容、さらにESSの支援器械の利用について、詳しく解説する。
坂倉 康夫(著)
コメント無し
大山 勝(著)
コメント無し
黄川田徹(著)
コンピュータグラフィックスと手術ムービーを駆使し、副鼻腔三次元解剖を初めて明解に描写。鼻内副鼻腔手術に必要な手技を基本から応用まで網羅した、術者の為の手術手技書。
佐藤達夫(訳)
コメント無し
内田正興(著)
コメント無し
|
||||||
|
All Rights Reserved, Copyright © choco-moco.net 2002-2005
ご意見、ご感想をお待ちしております @ |
|||||||